水を差しにくい社会【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第4回
森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第4回
【記者会見って、どうして必要なの?】
日本の社会をネットで観察していると、この頃、記者会見に対する応酬や反応が多い。全然興味がないのでしっかりと読んでいない。でも、どうして記者会見なんかするのか、という疑問をずっとまえから持っている。
質問があったり、それに答えるのなら、文章でやり取りすれば良いし、みんなにも見てもらいたいなら、それらの文章を公開すれば良い。文章の方が、論理的なもの言いが可能だし、不用意な発言も少なくなる。どうして、そうしないのか理解できない。
よくあるのは、用意された文章を読み上げるのではなく、自分の言葉で発言してほしい、という意見。どうして、自分の発声でないと駄目なのか? 誰かが考えた文章であっても、自分の責任で公表するなら、それで良いのではないか。僕は、ちゃんと考えられた、きちんとした文法の、間違いのない表現で出てくる言葉を重要視する。
たとえば、学術論文は、口頭発表は価値が認められず、発表論文としてカウントされない。どんな世界的なシンポジウム、国際会議でもあっても、口頭発表は軽視されている。そうではなく、学会の雑誌に発表される論文が業績として認められる。
どんな顔で、どんな口調で、どれほど上手にプレゼンしても、評価は内容、コンテンツで判断される。だから、緊急を要する問題でなければ、文章でやり取りすれば良い。記者会見など必要ないのでは、と感じる場合が多い。そんな記者会見をわざわざ生放送で電波に乗せるのも無駄だと感じてしまう。
おそらく、これ自体がエンタテインメントなのだろう。それ以外に考えられない。つまり、発表している側も、質問している側も、どちらもタレントで、演じている。ようは、フィクションなのだ。それなら、いちおうの存在価値があるのかな、と思う次第。
だって、質問しているのは「記者」なのでしょう? 文章を書くことが仕事の人たちなのでしょう? だったら、質問も文章でぶつけてほしい。答える方もしっかりと文章で答えてほしい。それを何往復かさせるだけのこと。大した時間はかからない。大勢でやりたかったら、ネットの掲示板を利用すれば良い。みんなが見ると思う。ただ、TVには向かない。こんな旧式な儀式が存在する理由は、結局はTV向けだから?
KEYWORDS:
✴︎森博嗣 最新珠玉のエッセィ✴︎
✴︎絶賛発売中✴︎
[caption id="attachment_3661533" align="aligncenter" width="525"] ※カバー画像をクリックするとAmazonにジャンプします[/caption]
★ 連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」がついに単行本化され発売に! 総頁数:344頁。未公開の書き下ろし原稿(第36〜40回)も収録。視点が変わると、人生も変わる!あなたにとって大切な一冊になるとお約束します!
「無事」を重ねることが、人生の成功である。少し気をつけていれば、誰でもできる。ときどき予期せぬ不運が襲ってきても、また少しずつ無事を重ねて挽回していけば良い。勝たなくても良い。負けても良い。またの機会を待てることこそが、成功の価値なのである。(第35回「充実した人生に唯一必要なもの」より抜粋)
◉人生はプログラミング◉水を差しにくい社会◉話し上手と書き上手
◉老人になっても社会人である◉余計なものを持つことの価値
◉気持ちという質量◉「潔癖社会」純度上昇中◉ジェネラリストは存在しない?
◉どうなれば成功なのか?◉適度な自己中のすすめ◉アイデアを思いつける人
◉思いつきの手法◉新しい価値は無駄から生まれる◉頭は知識で肥満になる
◉楽しければそれで良いのか?◉効率か快適か、それが問題だ
◉自己利益が最重要な方針◉作るために必要なこと
◉一人でいることは、自由の象徴◉充実した人生に唯一必要なもの
◉AIが活躍する未来って?◉的確な質問をする能力
◉ネットのモラルはこれから◉フィクションを楽しむ条件
◉いつ死んでも良い生き方とは etc.